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時間は命、大切にしよう

「もしもある日突然、ガンと認知症で一度に両親を失ったら...」-300日間の死闘、「私は、この決意とダンドリでのり切った!」-


エンジョイライフ読本
奥義秘伝の書
「もしもある日突然、ガンと認知症で一度に両親を失ったら...」
-300日間の死闘、「私は、この決意とダンドリでのり切った!」-

 

ある日突然・・・。

 

2012年7月、「その時」は突然おとずれた。


仕事帰りに、いつもと同じ道をいつも同じように歩いていた。
その先に、トボトボと歩く老夫婦のうしろ姿があった。
いつも見慣れた「なつかしいうしろ姿」だ。

でも、何か様子がおかしい。
追いつくのに、さほど時間はかからなかった。


ちょうどカメの歩みぐらいで、半歩ずつ確かめるように歩く父の瞳に生気はなく、ほおはこけ、痩せてダブついた服をまとい、ただひたすら家を目ざしていた。

その姿は、子どもの頃に見た「復活の日」という映画のワンシーンのようだった。

その傍らには、とまどった表情の母がスーパーの買い物袋を持ち、父に寄り添って歩いていた。


私は「ただごとではない」とすぐに悟った。


これが始まりだった。

 


その後、父は末期の食道ガン、母は認知症と診断された。

そして、両親の近くに住んでいる、一人っ子の私が「すべて」を引き受けることとなった。

 

それから300日の死闘を終え、今、私は筆を執っている。

 

この小冊子は、「センチメンタル」や「ノスタルジー」などからではなく、
友人たちや身近な人たちが、
近い将来、「その時」がおとずれたときの「覚悟」と「心がまえ」を持ち、
ダンドリ、準備がスムーズにいくように・・・と願って書いている。


私の壮絶な経験をムダにしないため、
    友人たちへ心からの友情をこめて・・・。

 

 

108つの困りごと


まずは、「その時」がおとずれたときに、私が遭遇した「108つの困りごと」をお伝えします。
おおむね「体験した順」に書いてみます。父母のことが混じっていますが、体験のまま書きます。

 

入院手続き
検査に行ったら即入院、すでに末期でした。
手続きもあわてました。
母が元気なら、母にやってもらうのですが、
すべて私ひとりでやりました。
配偶者ではない場合は少し手間がかかります。
準備するものもかなりあります。そしてやはり現金がないとたいへんです。

 

入院準備
母が元気なら入院準備もスムーズなのでしょうが、私がやるので、ひとつひとつ時間がかかりました。
じつに多くの準備があり、とてもたいへんでした。

 

たばこ
ヘビースモーカーの父は、入院の時にたばこを隠し持っていたのですが、看護師に見つかり没収されました。
病院へ向かう直前まで吸っていたのに、そのまま持っていく根性が信じられませんでした。

 

がんの治療
がんの治療は選択肢がいろいろあり、ステージによって随分違います。
父は末期だったので、「クオリティ オブ ライフ」をどう考えるかということが最大のポイントでした。
いきなりそう言われても困りました。

 

ターミナルケア
父の最期をどうするかについて、入院する時から医師に確認されました。
週に一度、状況の確認と危篤の時の対応、方針などを確認され、とても大きなストレスとなっていました。
父の命のことを自分一人で決めていいのか・・・、と悩みました。
母が元気なら少しは楽なのかもしれない・・・とも思いました。

 

本人への告知
先に家族に知らされます。
母が元気なら、母が聴くのですが、
私が聴いて、本人への告知をしました。
つらかったです。

 


家のことはどうするか、母が元気ならひとりでおいておけるのですが、
入院当日から、食事や生活をどうするのか、たちまち現実問題となりました。

 

宅食
父が入院した直後から、母の食事という課題が出てきました。
自分で食事が作れなくなった母は、父がスーパーやコンビニなどで調達したお弁当などを中心とした食事だったので、
父の入院した日からの毎食のことが大問題でした。
これからずっと続くことなので、なるべくみんなに負担がかからない方策として、宅食を選びました。
栄養のバランスも取れて、手頃な値段なのでいいと思います。
結局施設が決まってからは食事の手配の必要がなくなりましたが、とてもいいサービスだと思います。

 

介護認定
父も母も役所へ介護認定の申請が必要となり、医師の診断や各種書類の取りまとめをしましたが、
平日昼間の手続きはたいへんでした。
特に母は、介護認定がおりないと、施設へのアプローチができないので、
自分で状況説明の書類などをつくって役所に受け取ってもらいました。
そして、毎日電話して、認定を早めてもらうよう係りの方にお願いしました。
休みをとって事情を説明にも行きました。

 

治療の意思決定
がん治療にはいろいろな選択肢があります。
抗がん剤、放射線から始まり、いつ何をどのように行うかについて、
医師団と週に何回か電話や面談で打ち合わせます。
医師の都合で呼び出しがかかるので、仕事をしながらだとつらいものがうあります。

 

ケアマネージャー
ケアマネを探すのも自分でやりました。
近所の施設に飛び込みで行って、事情を話し、その施設経由で紹介してもらいました。
結局、父と母のケアマネージャーを同じ方にお願いしました。
家の様子や事情を十分にわかっていただいて、
私の考えを伝えたうえで動いていただいているので、
とても助かりました。

 

施設探し
母の介護認定申請と同時に施設探しが始まりました。
どのような施設があり、母の具合ではどの程度の施設が適当なのか。
ケアマネ探しもしながらの作業でした。
真夏の暑い中、仕事が終わって帰宅してから、毎日インターネットで調べた施設を片っ端からたずね、
状況を説明し、いろいろな話を聴きました。
ほとんどが入所待ち何十人、何百人の世界で、気が遠くなりました。
電車でまわると時間がかかるので、自転車で何時間もまわっていたので、
熱中症、脱水症状に何度もなりました。

 

グループホーム
介護認定の程度にもよりますが、デイサービスの次に考えられるのが、
グループホームです。
いずれは母もグループホームにお世話になるかも知れないので、
グループホームを持っている団体に所属するケアマネの方をお願いしました。
自宅から近いグループホームを探すのもたいへんですし、
あたりまえのことですが、空かないと入れないので、多くの人が待っています。

 

デイサービス
母の場合、結論として民間の団体で、一戸建ての民家を利用しているデイサービスにお世話になることにしました。
オプションで、朝晩の時間延長、三食の食事、医療連携サービス、ケアマネとの連携など、
とても行き届いたサービスを提供しているところです。
飛び込みで相談に行き、一人分の空きができたというので、その場で仮押さえして、翌日仕事を休んで契約しました。
そのぐらいラッキーなことでした。

 

病院検査
母の病気の場合、進行の具合の確認や、薬の処方のため、最低2,3週間に一度通院して検査する必要があります。
私は勤務の関係で、土曜日が出勤のことが多く、主治医がいる土曜日に合わせるため、数少ない土曜日をそれに充てることとなりました。
私の休みを楽しみにしている妻や子どもたちに申し訳ない思いでいっぱいでした。

 

有料老人ホーム
いずれは有料老人ホームを考えなければならないので、主だった会社のホームのカタログを取り寄せ、
比較検討をしました。
費用だけでなく、立地やサービス内容、評判などさまざまな角度からみていきました。
父の遺産をその費用に充てることにしたので、ある程度の期間は大丈夫だと思います。

 

親戚への知らせ
親戚へがんで入院したことを知らせるとき、どこまで知らせるか悩みました。

 

新聞
新聞は毎日たまります。
読む人がいないときは止めましょう。
父が入院した日に止め、一時退院の時復活、とダンドリよくやっていたら、
父が、「さすが敦哉だなっ!ふふっ。」とほめてくれました。

 

郵便や宅配
郵便や宅配は毎日たまります。
どのようにするか速やかに決めましょう。
私は、私の家に届けるようにお願いしました。
でも、届いた郵便ひとつひとつ対応するのは、実にたいへんでした。

 


市民農園を四つも借りていたので、ひとつひとつ手続きや連絡、説明、お詫び、
そして、今後のことなどをひとつひとつ解決していきました。

 

老人会
老人会の畑を借りていたので、入院してから、
「雑草の手入れができてなくてまわりに迷惑がかかっている。」とか「害虫が・・・」など毎日電話がかかってきてたいへんでした。

 

農協
農協から畑を借りていたので、父が入院してから連絡がたいへんでした。
それぞれ区画により管轄があったり、番号ごとの申し込みなので、それぞれ手続きをするのです。
どの番号か特定するのも書類が整理されていないので大変でした。
事情を話し、しばらく手入れができないので、他の区画の方に迷惑をかけてしまうこと、
きっと畑仕事はもうできないので、今年度で返却したいことなどを告げると、「また年度末に手続きしてください。」
と言われました。たいへんでした。

 

洗濯
入院していると洗濯ものがたいへんです。
着替えも十分置いておきたいのですが、スペースが限られています。
ほぼ毎日通いましたが、仕事が終わってからの病院通いは、一週間を過ぎたあたりからきつく感じるようになりました。

 

差し入れ
いろいろ差し入れを頼まれました。
毎日、それを調達するのはほんとうに大変でした。

 

メロン
「メロンが食べたい」というのが結構厳しい課題でした。
前日のお見舞いの帰りに、スーパーなどに寄ってメロンを買い、
家でカットし、使い捨てのパックに適量を詰め、ラップをして冷蔵庫で冷やします。
翌日職場に持って行き、冷蔵庫で冷やしつつ、帰りに忘れないようカバンに詰めて、
ていねいに持って行くのです。

 


「水を飲むのに氷がいる」といってきかないので、
共有の冷蔵庫に名前を書いてロックアイスを置いておきました。
なんともぜいたくな入院患者でした。

 

アイス
ガリガリ君が好きで、共有の冷蔵庫に名前を書いて入れておきました。
なくなると携帯にオーダーが入りました。
入院したばかりの時は毎日差し入れていました。

 

ストロー付きコップ
お気に入りのストロー付きコップに氷を入れて水を飲んてでいました。
そのコップは父とともに他界しました。

 

承諾書
父の手術や最期について、いろいろな承諾書が必要となりました。
手術(施術)について直前で怖くなった父は、「そんなもの同意していない」「意識朦朧としている間に医者が書かせた」などと言い始め、
手術前日夜中に医師から、「これから父を説得するので、携帯の通話状態のまま病室でのやり取りを聞いておいてほしい」と言われ、
同意までこぎつけようとしたのですが、失敗し、これから病院に来てくださいと言われて、父を説得したりなどいろいろありました。

 

冷蔵庫
父が入院して、久しぶりに実家の冷蔵庫を見て、気絶しそうになりました。
「原型がわからないもの」や「謎の生物?」といったものがぎゅうぎゅうに詰め込まれていました。
それも二台・・・。
ひとつひとつ整理しました。

 

家の掃除
家の掃除はたいへんでした。
いわゆる「ゴミ屋敷」でした。
特にケアマネの方から、「一時退院のために介護ベッドを入れる必要がある。」と言われ、
たいへんあせりました。
最終的に、2トントラック5台分のモノを運びだして父の生活空間をつくりました。
その準備でまる10日以上の準備作業をすることになりました。

 

介護ベッド
介護ベッドは意外と大きいので、スペースをとります。
また、動線を確保するためにまわりにさらにスペースが必要となります。
トイレの前も点滴スタンドを引きながら通れるように、洗濯機を撤去したり、段差を減らしたりしました。
結局本人が最後まで拒否したのでベッドは入れられませんでした。

 

引越し屋
「ゴミ屋敷」を整理するため、引越しやさんのサービスを利用して、
最終的には2トントラック5台分のモノを運びだして父の生活空間をつくりました。
そして、その準備でまる10日以上の準備作業をすることになりました。
金額もかなりかかりました。

 

植木
庭の植木が伸び放題、鉢もプランターも雑然としていて雑草とつるで「おばけ屋敷」のようになっていました。
塀からはみ出した枝が道路の半分まで伸び、高くなった木々が電線を覆ってしまうくらいになっていたので、
思いっきり切ったり、整理したりしました。
おかげで風通しが良くなり、家の中も湿気が減りました。カビのはえ方も違うし、蚊も少なくなりました。

 

灯油
裏の物置に灯油が二つ残っていました。
そのまま捨てられないので、いろいろ調べて近くのガソリンスタンドに相談しました。
有料ですが、引き取ってくれました。
自転車で運ぶのは「ひと苦労」でした。

 

おみまい
母を父の病院へおみまいに連れていったり、子どもたちを連れていくのも一仕事です。
母は、一瞬たりとも目が離せないので、個別に連れて行き、子どもたちはまた別の日にとという形です。
洗濯や差し入れ、手続きや医師からの呼び出しなどはまた別に時間も決められているので、
一日に二回、三回と病院に通うこともありました。「休みがあったら・・・」と思いました。

 

ねまき
入院して、季節が変わるころ、「厚手のねまきをもってきてくれ」と言われ、
持っていくと「それじゃなくて・・・」と注文が多いのです。
結局何度も取りかえたり、買ったりしながら気にいるまでこれをくり返しました。
母が元気ならもしかしたらうまくいったかも知れません。
こんなことひとつでもたいへんでした。

 

下着
父の下着もたいへんでした。
もっと厚いやつ、もっと薄いやつ、やわらかいの、小さいの・・・。
体調が悪い時はなおさら細かいことが気になるのか・・・、と思いました。
せっかくだから新しいのを買って持っていきました。
「もったいないからいいよっ。」と言いながらもとても喜んでいました。

 


孫はかわいいようです。
当時4歳の息子と、1歳の娘がおみまいに行くと、病院の売店でおもちゃやぬいぐるみ、ノートや鉛筆など
毎回いろいろなものを買い込んでプレゼントしてくれました。
話したり、スキンシップをとったり・・・。かわいい孫がいてよかったね。
娘はもらったぬいぐるみを大切に、今でも一緒に寝ています。

 

抗がん剤
抗がん剤治療は、想像以上に過酷なものでした。
何日も起き上がれないほど本人は具合が悪く、
特に体力が落ちてからは見ていられないほどでした。
人により、状況により違うということですが、私もつらかったです。
放射線治療との併用のときは、もうやめようかと思いました。

 

看護師さん
看護師さんはとてもやさしいです。
父のこころの支えになってくれました。
ご自身たちがたいへんなのに、わがままを聴いてくれたり、話し相手になってくれたり・・・。
感謝しています。ありがとうございました。

 

本人の説得
施術や治療については、必ず本人と家族の同意が必要です。
恐怖心や不快感により、突然拒否したり、文句を言ったりすることがあります。
医師は、他の医師などへの依頼やチームの状況を考え、父を説得するように私に言ってくるのですが、
なかなか難しいものがあります。
夜に何度も呼び出されたり、仕事中に呼びだされたりしました。

 

夜中の呼び出し
手術の前日、突然父が拒否したので説得してほしいとの呼び出しがありました。
タクシーで駆けつけ、説得することになりました。
また、転院の前日も危篤なのですぐ来るようにと言われ、タクシーで駆けつけました。
夜は良くないことがあるので、いつも寝るのが不安でした。
今でも時々そのときの気持ちがフラッシュバックしてくることがあります。

 

診断書
診断書は忙しい医師が仕事の合間をぬって書きます。
なかなかすぐにはもらえません。
でも、保険や役所の手続きなどではすぐに必要です。
とてもたいへんでした。

 

平日支払い
病院は平日窓口支払いが原則です。
入院費を払いに半日休みを取っていくこともありました。
だんだん改善されることを望みます。

 

平日昼間手続き
病院、役所、郵便局、保険会社、団体などは平日昼間に手続きをしなければなりません。
そのために、半日休みを取っていくこともありました。
これもだんだん改善されることを望みます。

 

個室
どちらの病院でも、個室をすすめられました。
個室はお金がかかります。やはり、お金は大事です。
個室はおみまいでも自由がきくのでいい面もあります。
本人は、「お金がかかるから個室でなくていい」と言うのですが、
病院側は、病状、環境、受け入れ条件など、いろいろな理由をつけて個室をすすめます。
とても悩みました。

 

携帯電話
自分で電話がかけられるうちは、母や私、親戚、友人などに携帯電話をかけていました。
携帯電話がある時代で良かったと思います。
本人も、自分が関わったいろいろな人に思いを伝えることができたと思います。
ありがとう、携帯・・・。

 

飲み残し持ち帰り
食事の時に出た栄養ドリンクや牛乳、ヨーグルトなどを「毎日持ち帰ってくれ」と言われました。
仕事帰りにビニール袋いっぱいになる重たい荷物、毎日とてもつらい思いをしました。
一度、「もう、処分してもらったら・・・」と言った時、父は「そうか・・・」ととても悲しそうな顔をしたので、
それからまた持って帰ることにしました。
病院からいったん最寄りの駅まで戻り、翌日の差し入れの買い物をして、家まで歩く道のり、
その間ずっしりと重たい感覚が手から離れません。
父が亡くなった後、冷蔵庫いっぱいになったそれらは父と一緒に他界しました。

 

母の付き添い
母の病院へ付き添うのはたいへんです。
「なぜ自分が病院へ行くのか」ということがわかっていないからです。
先生との面談もかみ合わず、本人ももやもやした気持ちになります。
有名な病院なので、待ち時間がとても長く、予約もいっぱいです。
休みを取るにも限度があるので、主治医との日程をあわせるのがたいへんでしたし、
薬がなくなる前に予約を入れなければならないので、父の病院と両方の調整がとてもたいへんでした。

 

母とのお見舞い
母は一瞬たりとも目が離せないので、父のおみまいに行くのも一仕事です。
母の病院から直接電車やタクシーに乗せて、一気にいくようにしました。
状況の判断ができない母は、戸惑いながらも父と会う時間を楽しんでいました。
父と母に残された時間を少しでも長く共有してもらいたいと思ったので、
なるべく多く足を運ぶようにしました。
父もとてもうれしそうでした。よかった。

 

母の代理
病院、役所、保険からはじまり、すべて母の代理をしました。
ほんとうにたいへんでした。
委任状をいくつ書いてもらったことか・・・。
本人でなければならないものは、施設の方に協力していただき、
私と一緒に車で連れて行っていただいたりもしました。
とにかく、たくさんのことがありました。
あらかじめ、きれいにしておくのがいいと思います。

 

一時退院
抗がん剤と放射線の治療が一回りして、体調が安定した時、一時退院をしました。
ちなみに家族の付き添いがないと一時退院できませんので、毎日「日程を早く決めてください」と病院から催促されました。
追い出されるようで、とてもつらい思いをしました。
少しものが食べられるようになった父は、ヘルパーの方にいろいろ作ってもらって食べていました。
どうも内緒でお酒とたばこも・・・。
少しは身の回りの整理や母のことについて話すのかと思っていましたが、そんな気配はありませんでした。
ケアマネの方に噛みついたり、一日中テレビを見たり・・・。
せっかく拾った人生の大切な時間をもっと大切にしてほしいと思いました。
まあ、それが父らしい普段の生活だったのでしょう。
訪問医の先生の指示で救急車で緊急搬送される日まで、そんな生活が続きました。

 

検査付き添い
検査の付き添いも原則家族でないとできません。
日程が決められてしまって、どうしても休みが取れなかったので、
ヘルパーの方にお願いしようと思ったら、介護保険と医療保険の管轄、適用範囲が違うので、
医療にともなう付き添いはヘルパーの方に頼めないのが原則だそうです。
タクシーで病院まで連れていくまでは良いらしいのですが、検査中は外で待機してなければならず、
手続きや病院側との接触も制限されるようです。
結局、ケアマネの方にお願いしてうまく切り抜けました。
とてもありがたいです。

 

介護食
父が一時退院したときの食事はたいへんです。
食道が閉塞しているので、唾液も戻ってきてしまう状態でしたので、食べられるものがほとんどありませんでした。
「医者の処方した流動食やドリンクは口に合わないからいらない。」「高カロリードリンクは嫌だ。」とわがままを言うので、
ヘルパーの方においしそうな柔らかい食事を作ってもらい、何食かに分けて少しだけでも口にするようにすすめました。

 

薬を変える
母の薬を変えるときはたいへんでした。
もともとの主治医の判断で、濃度を少しずつ上げていって安定した状況であったところ、
施設でお願いした医師の見立てで、変えようということになり、施設から判断を求められました。
素人の私ではなんとも言いようがなく、判断がつきませんでした。
結局医師の判断にお任せすることにしたのですが、とても難しい選択でした。

 

写真
父はカメラが趣味でした。自分で撮った写真は数え切れません。
また、子どもの頃からのアルバムなどから数えるとたいへんなもので、
プリント、ネガ、デジタルデータがたくさんありました。
そこで、すべてをそれぞれの専門家にまかせて、デジタルデータ化し、
フォトアルバムの形にしてあげました。
一時退院に間に合い、父はずっとその写真をくり返し見ていました。
とてもうれしそうでした。
やってよかったと思います。


ビデオ
写真同様、8mmシネマからはじまって、ビデオの映像もたくさんありました。
すべてDVDにデータ変換してもらって、いつでも観られるようにしました。

 


点滴スタンドレンタル
一時退院した父が、栄養状態が悪くなり、点滴での栄養補給をすることになりました。
とりあえず、家にあった針金ハンガーで数日乗りきり、すぐにケアマネの方に業者に手配してもらいました。
ところが、サイズや重さなどいろいろ仕様があり、二つの業者にお願いしたり、
月をまたぐ契約のことなど支払いも含めて何度も何度もやり取りすることになり、消耗してしまいました。
結局父が亡くなってからもしばらくずっと、スタンドだけが玄関にひっそりと立っていました。
とても悲しい光景でした。

 

訪問看護
訪問看護をお願いするとき、訪問医と連携しなければいけません。
基本的に違う業者や組織なので、ケアマネを通して別々に手配しなければなりません。
介護保険と医療保険で管轄が違うので、ヘルパーの方との業務の住みわけも厳密にしなければならず、
素人にはわかりにくくなっています。

 

訪問医師
訪問医師は週に一度ぐらいしか来てくれないので、点滴をかえたり、機械の操作など自分でしなければなりません。
医師は「簡単だから」と言いますが、はじめてやる私にとって、点滴の針を刺したり、機械の操作をするのは、
父の命に直結しているので、異常なぐらいストレスを感じました。何度も夢にでてきました。
いまだにフラッシュバックすることがあります。

 

ヘルパー
毎日入れ替わりで来てくれるのですが、人により応対がことなるので気をつかいます。
また、医療行為はできないので、吸引処置や点滴関連のことはできず、病院での検査の付き添いも連れて行くところまでと
線引きが厳しいのでたいへんでした。

 


救急車
結局二回乗りました。もう二度と乗りたくないです。
一回目は一時退院していて、肺炎を起こし、訪問医の診立てで緊急搬送し、そのまま集中治療室でした。
二回目は、転院時です。前日の夜中、危篤なのですぐ来るようにと言われ病院へ駆けつけました。
なんとか一命を取りとめたのですが、予定通り転院してくれと言われ、医師が付き添って救急車での搬送ということになりました。
「ここまでして追い出すのか・・・。」と悲しい気持ちになりました。現実は厳しいです。
転院した翌々日、父は他界しました。
もう救急車には乗りたくないです。

 

テレビカード
一日中テレビをみるのが父の習慣でした。
入院してもテレビカード式のテレビにイヤホンをして、ずっとみていました。
いつも度数をフルにしていた父が、あるとき「テレビカードにチャージしてきてくれ。」と言いました。
その頃から自分で歩くのが億劫になってきたのでしょうか。だんだん体力が弱くなってきました。
テレビをみると父のことを思い出します。

 

正月に酒
正月に父から携帯電話に「正月なので酒を持ってきてくれ」という連絡がありました。
看護師には了解をとったというのです。
末期なので、形だけならという配慮でした。
冷蔵庫にあると言っていたので、確認すると上善如水がありました。一時退院のとき内緒で買っていたのです。
持って行きました。
うれしそうになめるように口にしていました。


おつまみ
食道がつまっていたので、ほとんどものが通らない状態なので、
みじん切りの「かまぼこ」と「伊達巻」を持って行きました。
最後の正月、おせちでした。
うれしそうにひとくちずつ口にしていました。

 

転院
積極的な医療行為ができず、延命治療や栄養補給だけになると、転院をうながされます。
「うちは、そういう病院ですから。」と言われてしまうと転院せざるをえません。
転院先もインターネットからプリントアウトしてあげるので、自分で探せと言われました。
結局自分でインターネットで調べ、電話して受け入れ先を決めました。
転院の前日夜中の11時すぎに病院から連絡があり、駆けつけたところ、危篤の状態になったのに、翌日は予定通り出ていっほしい旨を伝えられました。
容体が良くないので救急車を呼び、医師を一人つけてまで転院することになりました。
このせつなさをどう表現していいかわかりません。

 

介護タクシー
転院させられるとき、自分で介護タクシーとよばれる特殊なタクシーを手配しなければなりません。
病院はいっさい関わらない姿勢です。
酸素の濃度や車いすへの介助などいろいろ決めなければいけないのに、きびしいものがあります。
どの業者を選ぶか、時間や手配人数まで自分で電話予約しなければなりませんでした。

 


差額ベッド
転院先の病院では、受け入れの条件として差額ベッドを提示されました。
確かに、慈善事業ではないので、前の病院を出されてしまった患者を受け入れるのには、
お金が必要ですよね。
しかも、期間限定です。でもどんな形でも受け入れてもらってよかったです。
前の病院で、「行先は自分で探せ」と言われ、困りました。
父は、転院後二日目に亡くなりました。

 

危篤
転院して二日目、朝職場に出勤すると、病院から危篤の知らせがありました。
駆けつけて、医師の話ではあと数時間とのこと。
父に思いの丈、感謝の気持ち、母のことなどを一方的に伝え、
葬儀社、親戚、寺、職場、自宅などへ連絡をとりながら、今後のダンドリをとりました。
もう自分ではない自分でした。

 

危篤の知らせ
父の兄弟にもどこまで知らせるか、とても悩みました。
でも、私一人で対応できることは多くありません。
病院からは、遺体搬出、費用、手続き、葬儀、火葬場、埋葬許可などについて矢継ぎ早に対応をせまらます。
「荷物は病室に残さず、すべてすぐに持っていってください。」などとも言われ、一時安置所まで、入院の荷物をすべて持ったまま、
葬儀社の方と父を連れていきました。
やるせない気持ちでいっぱいでした。

 

父の死を知らせるか否か
母に父の死を知らせるかについては、ケアマネ、施設のスタッフ、担当医など専門家の意見を仰ぎました。
認知症の症状が進んでしまう恐れがあり、慎重に進めなければなりませんでした。
今だに知らせていません。

 

葬儀
葬儀の段取りはとてもたいへんです。
私は、喪主、親族代表、世話係などすべてのことを一人でやらなければならない状態でした。
また、当日は記録的な大雪が降り、親戚だけでなく、葬儀社、花屋、仕出し屋、
そして何よりも、安置所にいる本人が到着しないという状況でした。
小さな子どもたちを寺までどう連れていくのかなども大きな課題でした。
当日朝から、通常の何倍ものダンドリと決断をすることになりました。
結局、母には父の死を伏せておくことにしました。

 

父の葬儀に母を同席させるか
通常でも目が離せず、ずっとつきっきりでいなければならない状態で、
葬儀を進めていくのは不可能と判断しました。
喪主、親族代表、世話係などすべてひとりでおこない、さらに大雪で棺も到着できないぐらいでしたので、
急きょ同席させない形としました。

 

葬儀社
葬儀社選びはたいへんです。
インターネットで徹底的に調べました。
金額はまちまちで、本によると悪質な業者も多いそうです。
追加でどんどん高くなるケースもあるので、よく調べました。
菩提寺との関係、宗派、地元に詳しいか、火葬場との相性、見積もりの明確さ、応対の丁寧さ、説明の明確さなど、
いろいろな観点から決定しました。
父が入院中からあらかじめ葬儀の形態、グレード、人数、香典返し、花、祭壇などを打ち合わせ、菩提寺との打合せも済ませておきました。
そのおかげで、父が亡くなった日もスムーズに決めていたダンドリにしたがって進みました。

 

遺影の写真
遺影の写真をすぐに選んでほしいといわれ、父が亡くなった日、夜中一生懸命探しました。
上田の家でみんなで楽しんでいる父の写真に決めました。
たぶん一番楽しかった頃です。祖父母も含めてみんなが元気に楽しく過ごした時間でしたし、
何よりも父がいちばん自分らしくいられた場所だがらです。
お気に入りの赤いサマーセーターを着た写真、そのまま遺影にしてもらいました。
もとの写真にはとなりに私が写っています。

 

菩提寺
将来に向けて、10年前ぐらいに飛び込みで近所のお寺にお墓をお願いしたいことをお願いし、場所を確保しました。
そのおかげで、父が入院してからのダンドリがうまくいきました。
東京で急に探すのはとてもたいへんなことです。
「引越し」「家探し」をするつもりで、あらかじめ考えておいた方がいいと思います。

 


墓地
自宅から近いことが何よりです。
父母は長男、長女なので、いなかに両家の墓があります。
お盆ぐらいは何とかがんばってお墓参りできるかも知れませんが、
本質は「日々のお参り」だと思います。
スペースが小さかろうと、宗派が変わろうと、こだわらない方がいいと思います。
また、親戚の関係でいろいろあると思います。でも、本質は「自分と両親」の関係です。
誰に何を言われようが「おはよう!」「行ってきます!」「ただいま!」など生前と同じように、
いつでも声がかけられる場所にお墓を持つのがいいと考えています。

 

墓石
墓石選びはたいへんです。
大きさ、石の種類、土台からそれぞれの組み合わせ、彫り方、文字、家紋、施主など・・・。
単に石に彫るだけではないのです。
カタログを見たり、サンプルを見たり、お墓へ行ってまわりの石を見たりとても工程の多さを実感します。
雨が降れば工程表どおりに進まなかったり、戒名の「点」の打ち方、字のはらいなどの細かい確認で思うように進みません。。
石ができあがる直前に父がなくなったので、施主の名前の入れ方をどうするかという課題も出てきました。

 

戒名
宗派によりいろいろなことが異なります。
ほんとうによく聞いたり、調べたりしましょう。
戒名にこだわる人もいれば、まったく関係ないと考える人もいます。
親戚やお寺などいろいろ調整しなければなりません。
私は、父のことを生い立ちから、私が子どもの頃のこと、野球やつりの仲間のこと、
個人として、夫として、父としてどうだったかをご住職にお話しして、つけていただました。
あくまでも「残された家族の故人に対する気持ち」なのだと思います。

 

訃報
訃報をどこまで知らせるかについては、とても悩みました。
母にも知らせていないくらいですから。
知らせたいい人、知らせておいた方がいいと思う人、たくさんの人が思い浮かびました。
でも、私一人では到底対応できません。
現実問題がわきあがってきました。

 



葬儀関連でいろいろ志をつつむことが多いと思います。
正直なところ、本などもまちまちです。
葬儀社やお寺に聞いてしまいましょう。

 

香典返し
いろいろな方面からお香典をいただきました。
いろいろ考えた末、カタログギフトを返すことにしました。
生前、父の大好きだったお茶やコーヒー、お酒、海産物などいろいろありましたが、
相手のことを考えると、やはりお好きなものを選んでいただくのがいいと思います。

 


仏具屋
位牌はどこでどうやってつくるのか。
どの位のグレード、どの位の大きさ、母の分となりを空けておくのか・・・など、
考えることが多く、また、仏具屋さんって、どにでもあるものではないので、
とても困りました。
納期も気になるところです。

 

行政書士
相続の手続きをトータルでお願いました。
とても親切な方で、ダンドリ良く進みました。
ただ、お願いする前に、あらかじめどのような案件があり、どのようにしたいということを事前相談しておきました。
実際に書類を見せて、委任状や印鑑をお預けし、具体的な指示をいただいておいたので、うまくいきました。

 

司法書士
相続関係でお世話になりました。
行政書士の先生から紹介していただき、書類も行政書士の先生から受け渡ししていただいたので、
とてもスムーズにいきました。
個別にやっているとたいへんです。

 

役所
役所関係への手続きは、本人もしくは配偶者がすることになっています。
私が手続きをする場合、すべて父や母の委任状が必要となります。
一枚一枚書くのでとても大変です。たくさんありました。

 

印鑑証明
いくつもの手続きにおいて、印鑑証明が必要となります。
磁気カードにしておけば、そのカードを持って自動発行機も使えるのですが、
母のは昔のもので、本人がいかなければ発行されません。
「配偶者、または同一世帯ならいいです。」と言われて、
「配偶者が亡くなったので必要なんです。」と説明しても、
「ではご本人が直接窓口に・・・」と言われました。
結局委任状で解決しました。

 

戸籍
保険や相続手続きでは、戸籍が重要です。
父と母、そして私の戸籍をさかのぼって関係性を証明していかなければならないので、
父母のいなかにまで及ぶ大きな作業となりました。
しかも、同一戸籍にない場合、それぞれ必要となりますので、かなり大がかりな手続きとなります。


住民票
住民票は親子であっても、同一の世帯の者でないと取るのがたいへんです。
様々な手続きで必要になってきますが、とても不便さを感じました。
ここでも、母が元気なら・・・、と思いました。


本人を連れていく
様々な手続きの中で、「本人を連れてきてください。」
というものが多いことに気づきます。
特に役所や病院などは本人でないと動かないものがたくさんあります。

 

年金
父が亡くなると、母の年金の手続きをしないといけません。
母が元気なら自分でするのでしょうが、代理で手続きを行うのはとてもたいへんなことです。
会社、役所からはじまり、また委任状や印鑑証明などが必要になってきます。
私は行政書士の先生に相談しました。
とにかくゴールは「母が無事に年金を受け取れること」です。

 


国民健康保険
父が銀行の退職者の保険に入っていたので、亡くなると母は国民健康保険に加入しなければなりません。
病院や薬のこともあるので、待ったなしの手続きとなりました。
ただ、とても複雑で、銀行の人事やOB団体、保険セクションをはじめ、役所関係などいくつもの窓口があり、
なおかつ本人以外、別に住んでいる息子が手続きとなると、何倍もの書類と証明書、手続きが必要となりました。
なんとかなりましたが、最近保険料の支払い方法の書類がきましたので、まだ完結していないんですね。


かんぽ
入院保障や死亡保険金の手続きは、本人や配偶者でない場合はとてもたいへんでした。
郵便局は4時までで、委任状や医師の診断書、書類をそろえるためにまた委任状...、そんな毎日でした。

 

ガン保険
ガン保険についても、入院保障や死亡保険金の手続きは、本人や配偶者でない場合はとてもたいへんでした。
委任状や医師の診断書、書類をそろえるためにまた委任状...、そんな毎日でした。

 

会社関係手続き
死亡の事実を伝えてから、健康保険組合や年金からはじまり、8つの窓口への手続きが必要となり、母が元気ならなんでもないことが、
とても手間のかかる手続きとなりました。
平日昼間ではなかなかやり切れませんでした。

 

OB会
父の銀行のOB会組織が大きく、さまざまな手続きがありました。
葬儀の花が頭取名で届いたり、弔電、香典の連絡、名簿の取り扱いなど、
いくつもの手続きや連絡をしました。

 

土地
結局土地は私の名義にすることにしました。
連名だとまた手続きが複雑になり、母の負担も増えるので、引き取ることにしました。
相続だけでなく、土地の合筆や境界の確認など、いろいろなことがあり、ようやく最近終わりました。


建物
母が住むための家として大切な建物、これも私の名義にしました。
とにかく母が何か手続きをしなければならない部分を減らさないとたいへんです。
父が元気なら、そして母が元気なら何でもないことがひとつひとつたいへんです。

 

電気
電力消費が減ったので゛、アンペアダウンをしました。
年金を大切に使ってほしいので、いろいろ電気製品のチェックをしたり、整理・掃除などもしました。
でも、本人以外が手続きをするのはたいへんなことです。


ガス
夜一人で過ごす母にとって、ガスはたいへん危険です。
習慣でつい使っているようでしたので、東京ガスに元栓キャップをつけてもらったのですが、
それを取って使っていました。
いまはガスを止めてもらっています。
同時にライターやマッチなども処分しました。

 


父の母校
父の母校は長野県立上田高校という名門で、同窓会も全国にあり、
どこから得た情報なのか、問い合わせや連絡がたくさんきました。
対応もたいへんで、へとへとになりました。


野球のチームメイト
上田高校野球部のつながりはとても強くて、バッテリーを組んでいた方やチームメイト、先輩後輩まで電話がかかってきました。
中には、奥様から「うちも同じような状況なので・・・」、といったお電話をいただいたりしました。
光の速さより速い情報網だなと思いました。


つり仲間
つり好きの父は、つり仲間との親交も深く、そのルートでもいろいろと連絡がありました。
父のつり竿や道具は、孫に譲ると言って他界しました。
私の息子は、さいごまで「元気になったら、じじとつりに行く!」と言っていました。
もう叶わない夢です。


いなかの友人
父はいなかでは有名人なので、上田の友人たちからも連絡がありました。
あっという間に情報が広まってしまうので、とても驚きました。

 

四十九日
ご住職の都合で平日しかできないということなので、
午前中だけ休みをとって家族だけで行いました。
母にはまだ知らせていません。
医師、ケアマネ、施設の方と相談した結果、症状が急に進行する可能性があるので、
知らせない方がいいということになりました。
とてもつらいです。

 

遺品整理
遺品の整理は想い出の整理です。
ひとつひとつのものに思い入れがあり、なかなか整理できません。
でも、そのモノが無くなったからといって、父との想い出や父の存在が無くなる訳ではありません。
前向きに、ひとつひとつ整理しました。

 

ゆっくり悲しむ時間がない
一番つらいことは、今だに父の死を受け止めて、
ゆっくりと悲しむ時間がないということです。
母のことや家のこと、次々と起こる課題をひとつひとつ解決しながら、
特に待ったなしの母の病状と対峙するなかで、ひとりで悲しむ時間がほしいと日々願っています。
時々、風呂の湯船につかりながら、五分間だけ父のこととを想い出すようにしています。
子どもの頃、かたぐるまで散歩に連れて行ってもらっこと、野球や自転車の練習をしたこと、カラーテレビを買いに行ったことなど
ひとつひとつ想い出すようにしています。

 

いろいろな思いがありますが、これらのことを300日あまりの間に経験しました。
もちろん初めてのことです。とまどいました。困りました。悩みました。
そして、何度も倒れました。
でも、「自分しかいない」「逃げるわけにはいかない」「なんとかのり切る」と思ってやり遂げました。

これらのことをのり切るために私がしたこと、考えたことを次に書きます。
よかったら、参考にしてみてください。

 


考え方の三原則


この「覚悟」と「心がまえ」が大切です。


①専門家にまかせる。

②できる範囲でやれることをやる。

③自分と自分の家族を守る。


このことをまずしっかりと「頭」と「心」にたたき込んでください。
この軸がブレてしまうと、きっとあなた自身が破綻します。
とにかく、このことをくり返し自覚してください。

 

 

ダンドリ 5つのポイント


すべてが未経験・未体験です。
「先の見えない不安」「全体像の見えない不安」「やり方の見えない不安」などを解消しましょう。
そして、決めることは決めてしまい、「未確定な要素」や「いずれやるべきこと」をあらかじめ減らしておきましょう。
私はこうしました。


①本を三冊買う。
  ・やることの全体像を把握する。
 ・やること(タスク)をピックアップする。
 ・流れ、手順(プロシージャ―)を確認する。


②ゴールを決め、到達点・着地点のグレードを決めてしまう。
 ・項目ごとにノートに決めたことを書きこむ。(システム手帳・バインダーノートが便利)


③「自分でやること」、「人にまかせること」、「専門家にまかせること」、「やらないこと」を決める。
 ・一件一葉にして、ノートに書き分けてしまう。


④「いつ」、「どう」やるかを決める。
 ・手帳に書き込んでしまう。


⑤できることは、あらかじめやっておく。
 ・タスクリストでつぶしていく。


相手する先、タスクが想像を絶するほど多いので、頭を整理し、片っ端からつぶしていき、頭の中を軽くしておくことが大切です。
こなした先から、次々に案件が入ってきて常に「オーバーフロー」状態が続くので、
「先行逃げ切り」「夜討ち朝駆け」でのり切るようにしましょう。

 


メンタルケア 10箇条

何度も何度も心が折れそうになりました。
風呂場で一人で泣いたことや叫んだこともありました。
「なんで、自分なのか・・・」と思ったり、「なんで、今なのか・・・」と思うこともありました。

人の心はそんなに強いものではありません。

私はこんなふうに思いました。


①等身大でムリをしないこと。

②「自分は十分やっている!」と思うこと。がんばりすぎないこと。
 
③「自分が中心である。」と考えること。

④「泥舟でも向こう岸までたどり着けばいい。」と割り切ること。

⑤「かっこ悪くてもいい。」と思うこと。

⑥一つ一つのことを考えすぎないこと。

⑦家族との時間や生活を大切にすること。

⑧「できないことはできない!」と割り切ること。

⑨人の力を借りること。

⑩「必ず終わる。」と思うこと。

 

これは、つくづく感じたことです。

理屈ではありません。

ぜひこうした方がいいですよ。

 

 

 


この小冊子は、単なる体験談や追想録ではなく、同じような境遇にある友人やまわりの人たちに、
あるいは、これからそうなるかも知れない人たちに、
そうなったときに「どう動くか」、「どうダンドリをするか」、「どうすればのり切れるか」、
そういった現実的、具体的な事柄について、あらかじめ知っておいてほしい、考えておいてほしい、行動してほしいという気持ちで書きました。

この人生の大きな山を乗り越え、あなた自身の人生をのり切るために、何かのお役に立てればうれしく思います。

enjoylife!

 

 

新しいライフスタイル「テマヒマかけずにエンジョイライフ」のすすめ

私は自分で自分のことを「自由人」と名乗っています。
それは、「自分の心と正面から向き合い」、「自分の頭で考え」、「自分の足で立ち」、「自分の信念にもとづいて行動し」、「自分の責任において生きる」、そういう自分になりたいと思っているからです。
そんな私は、高校生のときに自分の生き方やライフスタイルに「テマヒマかけずにエンジョイライフ」とタイトルをつけてみました。
先ほどお話したように、子どもの頃からあれこれやっていた私は、一つひとつのことをテマヒマかけずにやり、楽しみたいと思ったからです。
決して、手を抜いたり、サボったり、いい加減にやったり、ということではありません。
今しかできないこと、この環境でしかできないこと、自分にしかできないことを今現在ありのままの自分が、自分のことに積極的にかかわり、「うれしい!」「楽しい!」「ハッピー!」と感じられるようになりたいと思ったからです。
そして、人とのふれあいの中でうれしさを感じる、何かをしていて楽しく感じる、日々の生活や人生で幸せを感じることができて、まわりの人たちやおかれている環境、生まれてきたことに「ありがとう」と感謝することができるようになりたいと思いました。
今もその時の気持ちを大切にして生きています。
そんな自分自身をホームページに投影してみたのが、「自由人 岩下敦哉のA-town テマヒマかけずにエンジョイライフ」です。そこには、未完成ですが、さまざまな自分が生きています。というよりもむしろ、これから現実の世界の私自身と一緒にどんどん成長、発展していくのです。
よろしければ一度お立ち寄りください。
そして、あなた自身のライフスタイルをエンジョイしていきませんか?

 


エンジョイハックス(enjoyhacks)とは

エンジョイハックス(enjoyhacks)とは、岩下敦哉が「自由人、岩下敦哉(いわしたあつや)のテマヒマかけずにエンジョイライフ」の中で提供している「人生を楽しむための知恵袋」、すなわちエンジョイハック(enjoyhack)の総称である。
岩下敦哉は、その経験の中から、エンジョイライフという新しいライフスタイルを提案し、そのエッセンスを短いメッセージにまとめて、発信している。
自身のホームページ、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどで紹介するほか、友人や知人にエンジョイハックスを提供している。


エンジョイライフ(enjoylife)とは

エンジョイライフ(enjoylife)とは、岩下敦哉が提案している新しいライフスタイルである。
「いま」「ここ」「自分」にフォーカスし、「今置かれている環境」や「等身大の自分」を「あるがまま」に受け入れ、それを自分自身で認めることによって、人生を楽しく生きるライフスタイルである。
特に目新しいことや難しいことはなく、今日から始められる「小さな知恵袋」をエンジョイハックス(enjoyhacks)として提案している。
自身のホームページ「自由人、岩下敦哉(いわしたあつや)のエンジョイライフ」http://www.atsuya-iwashita.jp/などで紹介している。

 

 

 

人生七訓

一、テマヒマかけずにエンジョイライフ
「人生は楽しむためにある。おなじ楽しむならテマヒマかけずにいこう。」

二、うれしい! 楽しい! ハッピー! そして、ありがとう。
「人とのふれあいの中でうれしさを感じる、何かをしていて楽しく感じる、日々の生活や人生で幸せを感じることができるようになろう。そして、まわりの人たちやおかれた環境、生まれてきたことに「ありがとう」と素直に感謝できるようになろう。それが最高に素敵な人生。」

三、時間は命である。使うなら大切な人のために。
「何のために生きるかを真剣に考えること、今の一時間も死ぬ直前の一時間もおなじである。無駄にしてはいけない。使うなら、大切な人や大切なことのために使おう。」

四、泥舟でも向こう岸までたどり着けばいい。
「結果を出すための道すじはどうでもいい。こだわりすぎて結果を出せないことを恐れよう。完璧な結果などいらない。そこそこでいい。結果を出した者のみがプロセスを評価される。まずは結果を出すことのみに集中しよう。」

五、「昼あんどん」でいい、やるときにやればいい。
「いつも臨戦態勢でなくていい。やるときにやればいい。ただし、周到な準備、訓練、鋭敏な感覚、動くタイミング、動きのシミュレーションなどを忘れないようにしよう。」

六、「今、ここ、自分。」かっこ悪くていいじゃない。
「過去や未来は自由にならない。自由になる時間は今しかない。今現在おかれている状況や環境、場所や境遇をあるがまま受け入れ、その中で人生の主人公として、時間の主として、主体的に取り組もう。今の自分ができることを「自分ごと」として精一杯取り組もう。
そして自分で自分自身を認めてやろう。かっこ悪くてもいいじゃない、それが自分、それでいい。ほかに誰が認めてやるんだ。等身大の自分を大切にしよう。」

七、思いついたら、石橋をたたきながら渡り切る。
「好奇心には賞味期限がある。やりたいこと、学びたいことがあったら、すぐに行動しよう。人生の中に迷っている時間、悩んでいる時間はない。ただし、やみくもに霧の中を走ってはいけない。足もとや行く先をしっかりと見据え、慎重かつスピード感をもって進んでいこう。そしてかならず向こう岸まで渡り切ろう。そのための準備は周到にしよう。」

 

 


プロフィール

1968年8月21日生まれ。獅子座、O型。
ずっと東京で育ち、貫井中学校、都立富士高校、早稲田大学で学ぶ。早稲田大学大学院修了。
学部時代は、心理学・行動学・ノンバーバルコミュニケーションなどを中心に学び、大学院では人間工学や安全管理医学、ヒューマンエラーなどを学んだ。
社会人になってから、経済学、特に消費者行動やマーケティングに興味があったので、慶応義塾大学で学び、
高等教育や大学経営・運営に関心があったので、桜美林大学大学院、東京大学大学院などで学んだ。


子どもの頃から多趣味で、ピアノ、バイオリン、トランペット、クラリネット、フルートなどを演奏し、バンドでは、ベース、ギター、サックス、ウインドシンセサイザーなどを担当。
HERCULES、ARCADIA、富士音楽研究会などの音楽団体を主宰。
子どもの頃、一眼レフカメラや8ミリシネマ、ビデオカメラなどを父親から教わったので、写真や映像も趣味にしている。
父が油絵をやっていたので、絵画なども好き、読書や映画も大好きである。

家では息子と娘、二児のパパを楽しんでいる。もちろん愛妻家。

「自由人」、そして「エンジョイライフコンサルタント」。

エンジョイライフコンサルティング代表。
1987年より「時間塾」を主宰、塾長・講師。
1993年より時間活用研究所を立ち上げ、所長・研究員。

大学アドミニストレーター(大学行政管理・経営・運営の専門家)。

日本宇宙航空環境医学会、日本人間工学会、日本心理学会、日本社会心理学会、日本教育社会学会、日本高等教育学会、大学行政管理学会会員。


「テマヒマかけずにエンジョイライフ」がモットーである。

(詳細はホームページにて http://www.atsuya-iwashita.jp/

 

 

未来へのドリームノート

―今のあなたの思いを未来の自分へ届けましょう―

◎今、気づいたこと(言われてみればそうかも知れない)
1.
2.
3.


◎今、変えていきたいと思ったこと(そうだ、こうしなゃ)
1.
2.
3.


◎なりたい自分像(将来こうなりたい)
1.
2.
3.


◎「今から始める」と決意したこと(これをやるぞ)
1.
2.
3.


◎そして、今のあなたから未来の自分へのメッセージ・・・

 


Thank You enjoy life!

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